私は九州大学第3内科(九大3内:故 井林 博教授主宰)の内分泌研究室出身で、当時は膵がんとは縁もゆかりもありませんでした。そんな私が、現在は四国がんセンターで膵がんの診療を担当させていただいておりますが、そこにはある出合いがあったのであります。

 私が留学から帰ってきて赴任したのが九州がんセンター臨床研究部ですが、当時の臨床研究部長として安部宗顕先生がいらっしゃいました。安部先生は九大3内の膵臓研究室出身で、私の大先輩にあたるのですが、日本における膵臓病学の礎を築かれたおひとりであります。
 当時から膵がん診断における閉塞性膵炎の重要性を唱えておられましたが、これだけ画像診断が発達した現在におきましてもこの理論は生きており、閉塞性膵炎が膵がん発見の契機として依然、重要であり、膵がんの診療に携わっていらっしゃる先生方には度々、経験なさるところかと思われます。九州がんセンター時代には、安部先生のほかにも原先生、若杉先生、それに2007年の第38回日本膵臓学会を主催された船越先生といった膵臓病学に造詣の深い先生方が在籍なさり、このような先生方との触れ合いを通して膵がんの世界を垣間見させていただいたのが、今日の私の膵がん診療における原点となっています。
 私の九州がんセンター時代はリサーチが主体で、診療は細々と続けていたというのが実情であり、まさに “垣間見る” といった言葉が的を射た表現かと思われます。私が九州がんセンターに赴任した当時、ちょうど悪性腫瘍に伴う高カルシウム血症の起因物質としてPTHrPが単離同定され、内分泌の世界がPTHrPの話題で沸騰していた頃であります。私も内分泌研の端くれだからでしょうか、ご多分に漏れずこのPTHrPに魅了され、リサーチをスタートさせたのですが、このPTHrPの研究がその後の骨転移分子機構の解明に繋がり、Cancer Res誌での発表と相成った次第であります。
 一方、膵がんに関連した研究としては、当時、国立がんセンター中央病院にいらっしゃった菅野康吉先生(現在、栃木がんセンター)との共同研究として、がんの遺伝子診断の草分け的(化石的!)な存在であるK-ras点変異の解析をPSテスト(今ではご存知の方も少なくなりつつある膵機能検査法です!)で採取した十二指腸液を用いて行い、その成績をGastroenterology誌に発表致しました。

 こういった“リサーチ+α(診療)”の生活を続けながら10数年の歳を重ねて来たのですが、私の中では“そろそろ診療に軸足を移したい”といった気持ちが頭をもたげ始めていました。そういった折に、四国がんセンターの高嶋院長より声を掛けていただき、2005年11月より前臨床研究部長の兵頭一之介先生(現 筑波大学消化器内科講座 教授)の後任として四国がんセンターに迎えていただきました。
 四国がんセンターの消化器内科は、もともと消化器がんの化学療法センターとして名前も知られており、地域の“high volume center”として機能している施設ですが、2006年4月1日より新病院をオープンして、最先端の機能と医療機器を備えたがん専門病院へと生まれ変わりました。膵がんは最も予後不良のがんであり、gemcitabine(GEM)の登場によって多少の生存期間延長がみられたものの、2007年のASCOでの発表を聴きましても依然として混沌とした状態が続いており、GEM単剤を上回る治療成績が得られていないのが現況であります。
 四国がんセンターにおいて、これまでに数多くの膵がん患者および家族と関わって参りましたが、生存期間が短い膵がんでは告知に際して細心の注意を払わねばならず、できるならばそういった役を回避したいと思うのは、私だけではないと思われます。膵がん患者あるいは家族とのふれ合いを通して彼ら彼女らの“心の叫び”を数多く経験させていただきましたが、それに応えられないもどかしさで、いつも忸怩たる思いに駆られています。
 このように膵がんは最も予後不良のがんとして、固形がんの中では取り残された感がありますが、この難敵になんとか風穴をあけ、膵がん患者および家族に一筋でも光明が射すことを願い、膵がんの診療と研究に関わってゆく所存であります。




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