私は1975年3月、医学部を卒業後、4月より虎の門病院外科レジデントとして4年間勤務した後、1979年4月から「大腸癌の手術」を専門とした外科医人生を、今に至るまで歩んでいる。ほかの病院で勤務した経験は一度もなく、海外研修の経験もない。これほど偏った外科医は世間にはそうはいないと思うが、本人はその経歴と現状には至って満足している。
現時点で大腸癌手術経験症例は4600例近くになるが、私の外科医人生の大展開期は、大腸癌に対する腹腔鏡下手術の導入にあったと思う。
大腸癌腹腔鏡下手術は、日本では1992年頃に導入され、当初は早期癌のみにこわごわ行われていた。卒後17年が経過し、この頃には大腸癌の経験症例は一千数百例を超え、「大腸癌専門医」を自負していた身としては、―― (1) 早期癌のみにしか適応のない手術は手術としての存在価値はない!、(2)「cancer surgery−癌の手術」として、過不足のない郭清範囲と切除範囲を腹腔鏡下に行うのは困難である!――との見かたに立って、学会発表や文献をやや斜交いに眺めていた。
ところが、その頃のあまり手際のよくない大腸癌腹腔鏡下手術のビデオ発表を見るにつけ、「自分自身ならこの部分はこのようにして、従来の開腹手術と比較して遜色のない郭清ができる」、「この部分は腹腔鏡下手術操作にこだわらず、小開腹下に行った方が手術全体のバランスがよい」など――まだやりもしない大腸癌腹腔鏡下手術のイメージが、次第に頭の中にできあがっていった。
大腸癌腹腔鏡下手術は1996年に1例、1997年には7例と細々と開始し、本格的な導入は1998年からであるが、それは手術の適応を自分自身で決定できる立場に立ったからである。1999年には年間100例を超え、今では総経験症例数は1700例に達しようとしている。
大腸癌腹腔鏡下手術の最大のメリットは、「開腹創の縮小化」がもたらす手術直後の苦痛の低減と、それに伴う術後経過の短縮である。長期予後に関しては、最近までは「各stage間で少なくとも開腹手術例より悪くはない」との表現を用いていたが、症例の集積に伴い、「腹腔鏡下手術の方が予後がよい」と密かに言える段階まで来つつある。
症例数を重ねるにつれて地方で講演を頼まれることもあったが、このときに聞かれるのが、決まって「どこで勉強されました?」という質問であった。私が「どなたにも教わっていません」と答えると、やはり相手は決まって怪訝な顔をする。他人に問いかけられると、確かによくここまで来たとも思うのであるが、よくよく考えると、やはり「誰にも教わる必要性はなかった」のである。
なぜか? ――そもそもが、大腸癌腹腔鏡下手術を導入したきっかけが、「開腹手術の大腸癌専門医」が、心機一転して「大腸癌腹腔鏡下手術」に臨んだわけではなかったのである。つまり、私にとって大腸癌腹腔鏡下手術とは、「今まで経験を積んできた開腹手術下の大腸癌手術を〈腹腔鏡下手術手技〉を用いて行う手術」に過ぎなかったからである。もちろん、当初から〈腹腔鏡下手術手技〉を今のように上手くできたわけではないが、「習うより慣れろ」が何事にも一番であった。
今となっては、大腸癌腹腔鏡下手術抜きでは私の外科医人生は語れない。それほどにエポックメーキングな出来事であった。ある学会で、座長から「大腸癌腹腔鏡下手術は、1年後に患者にとってメリットはあるのか?」という意地の悪い質問が飛び出した。その答えはこうである。「過ぎ去ってしまえば、手術直後のことなんて大きな問題ではないと密かに思っている医療関係者も未だに多いと思われる。ところが、患者にとっては手術直後の快適さこそ重要なポイントである」と。
我々の施設では、「1年後にはメリットがないかもしれないこと」に日々一生懸命努力しています。
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