1999年10月26日。
私がこの著者を知る出来事があった。
ある日Sさんは一冊の単行本を私に紹介してくれた。そのときSさんが口にした言葉を、今でもよく思い出す。「彼(著者)の人生と今の自分がだぶるんですよ、年も近いし。落ち込んでる暇はないですね。自分ならどういう生き方ができるのかなっていう気になったんです。」当時45歳だったSさんは、肺癌を患い余命数ヶ月との告知を受けていた。彼は同年代であるその著者の作品を通して、自分なりの死への受け入れ方を模索していたように思う。そのときの穏やかな表情は、告知直後のそれとはまったく別人のようであったことがとても印象的であった。
そのSさんに対し、私は主に疼痛管理の面で関わっていた。「痛い」という言葉には、表現方法の違いや、不安などの精神状態に伴う主観的な要因が複雑に絡みあっており、それを正しく評価することは実際にはとても難しいことだと身にしみて感じている。私は「痛みのチェック表」を用いてSさんの痛みを可能な限り客観的に捉えるよう努め、またモルヒネの効果や副作用への理解を得るために、毎日Sさんのもとへ足を運んだ。同時に紹介された著書にも目を通し始めたが、読み進めるうちに、痛みの評価以上にSさんにとって大切なものが存在することに気づき始めた。作品中に綴られている生命に関する数々の文章は、Sさんが如何にして、自分の死を受け入れようとしているのかを教えてくれたと感じている。私は彼の痛みを十分理解することはできなかったかもしれないが、彼の感じていた生命に対する捉え方を共感できたことで、僅かではあるが彼が自ら生き抜こうとする力になれたように思う。
〜私の手元に一冊の単行本がある。アラスカの写真を撮り続けながら、徐々にその美しさの中に存在する自然の営みに魅力を感じていった、ある写真家のエッセイ集である。彼の著書に目を向けると、そこの人々や自然との関わりを通して、生命の尊さやそのはかなさを表現したものが多い。1996年、彼は撮影中、熊に襲われ44歳にしてこの世を去った〜 |