緩和ケアの巻 緩和ケア編
第9回 緩和ケアの巻 2012年2月3日 シャングリ・ラ ホテル東京にて
1. 知っておくべき緩和ケアの基本:抑うつ、せん妄
佐藤先生 佐藤 我々抗がん治療に携わる医師のなかには、緩和ケアの概念を十分に理解していない医師がおり、基本的なスキルが十分に浸透しているとはいえません。しかしながら、抗がん治療に携わる医師こそが緩和ケアのスキルを習得して治療にあたることで、「化学療法を長期に継続できる」「術後補助化学療法を完遂できる」等のメリットが得られます。これは実際に私自身が体験していることであり、抗がん治療においても緩和ケアのスキルは非常に重要といえます。
 今回は、抗がん治療中に生じやすい症状とそのケアを中心にお話をうかがいたいと思います。まずは明智先生に、がん患者さんに生じやすい精神症状と、対応する際の注意点について解説していただきたいと思います。

抑うつとせん妄は多くのがん患者が経験する精神症状

明智 抗がん治療に携わる先生方に知っておいていただきたい精神症状として挙げられるのが、「ストレスによって起こる症状」と、全身状態の悪化による特殊な意識障害としての「せん妄」です (表1)
 ストレス関連の症状としては、不安と抑うつの頻度が圧倒的に高くなります。不安は、不確実な脅威に直面した際に出てくる心理的な反応を指しますが、がんは治療経過がわからない、まさに“不確実な脅威”といえます。抑うつは、何かを喪失する、または喪失を予期する状況で起こる精神的な反応です。がんの進行は、健康、自信、役割など多くの喪失を重ねるプロセスであり、がん患者さんは不安や抑うつを経験する可能性が非常に高いと考えられます。
 特に抑うつは患者さん自身が自覚していないことも多く、また外見からはわからないため、臨床現場でもほとんど気づかれず、何のケアもされないまま見過ごされているケースが多くあります。その結果、時として自殺の原因となることもあります。実際、がん患者さんの自殺の最大の原因は抑うつ状態です。抗がん治療に携わる先生方には、進行がんの患者さんの多くが不安と抑うつ状態の双方を経験していることを知っていただきたいと思います。
 一方、せん妄も頻度が非常に高いのですが、これはストレスとはほとんど関係のない特殊な意識障害で、脳器質性の精神症状です。脳の機能低下によって起こってくるものなので、極端な言い方をしますと、ありとあらゆる精神症状が出現してきます。入院を要する終末期の患者さんでは、入院時で約30%、死亡直前では約90%に発現するといわれており、ほとんどの患者さんがせん妄を経験することになります。
 さらに、不安や抑うつを抱えた患者さんも終末期になるとせん妄に移行し、ストレス関連の症状が脳器質的症状に変化する複雑な病像を示します。

不安・抑うつの最大の危険因子は痛み

明智 がんの患者さんにおいて、不安や抑うつの最大の危険因子の1つとして挙げられるのが痛みです。不安や抑うつがあり、同時に痛みをもつ患者さんには、まずは除痛を行うことが最優先と考えられます。
 軽度の不安や抑うつの場合は、担当の医療スタッフとの信頼関係を基礎とした支持的なコミュニケーションが何よりのサポートになりますので、医療スタッフとの適切なコミュニケーションで適応障害レベルの症状を和らげることも可能です。がんの患者さんは臓器障害をおもちだったりご高齢の方が多いので、適応障害レベルの患者さんに抗不安薬を投与する際は、添付文書よりも少なめの用量にします。例えば、高齢者にアルプラゾラムを投与する場合、通常量は1日0.4mg錠×3錠ですが、私は0.4mg 錠を朝夕半錠ずつぐらいから開始しています。
 うつ病レベルの重症の抑うつになると、スタッフの支持的なかかわりだけでは不十分で、薬物療法が必要となります。がんのストレスにより発症したうつ病に対しても、抗うつ薬は有効であることがわかっていますので、きちんと診断して積極的に抗うつ薬を使用することが重要です。抗うつ薬は単剤使用が原則で、やはり少量から開始しますが、うつ病レベルに対しては、通常の治療量に到達しないと意味がありません。抗うつ薬は効果が発現するまでに2〜3週間かかること、また初期には有害事象が発生することを、患者さんに十分に説明することも重要です。
 一方、せん妄にはさまざまな原因 (表2) がありますが、進行・終末期のがん患者さんのせん妄でも改善する場合があることは、ぜひ知っておいていただきたいと思います。例えば、高カルシウム血症や薬剤性、感染症、脱水などが原因の場合には、適切な対応により回復する可能性が高いので、これらが原因になっていないかどうかをチェックする必要があります。
 また、進行・終末期でせん妄が発現する場合、その原因にはいくつかの因子が重なっている場合が多いのも重要なポイントです。せん妄のマネジメントには、医学的管理、環境的・支持的介入および薬物療法があります。支持的介入として、やむを得ず身体抑制を行うことありますが、これはせん妄の悪化要因になりますので、可能な限り避けるべきです。薬剤による対症療法の第一選択は抗精神病薬であり、睡眠薬や抗不安薬ではありません。抗精神病薬は単独使用が原則で、抗コリン薬の併用はせん妄を増悪させるため、避けなければなりません。

精神症状を見逃さない

佐藤 ストレス関連の症状は、抗がん治療開始の早期から発生することも十分考えられますね。

明智 がんは最初の告知が非常に衝撃的ですから、その後しばらくは患者さんにとって最もつらい時期だと思います。自殺の疫学データでも、告知後数ヵ月、なかでも最初の数週間が最も多いとの結果が出ています。抑うつや絶望感が強くなる時期だと思います。

佐藤 積極的な抗がん治療を行っている医療者は、不安や抑うつ、せん妄の対処方法を知っておくべきですね。

吉野 海外にはがん患者さんの不安やうつに対するソーシャルサポートとして、病院と家庭をつなぐpatient advocacyの場、がん患者さんが集う場所のようなものがあるのですが、日本では普及していませんよね。このような部分が充実すればかなり違うのでしょうか。

明智 薄く広い効果はあると思いますので、軽度の不安や抑うつの予防、回復には役立つと思います。ただ、臨床的に顕在化している不安や抑うつに対しては、ソーシャルサポート単独で効果を期待するのは難しいと思います。

佐藤 医療スタッフが精神症状を見逃さないためには、どうすればよいでしょうか。

明智先生 明智 スクリーニングが重要だと思います。Journal of Clinical Oncologyにもうつのスクリーニングのrecommendationが掲載されましたが1)、一般に「診断時」「化学療法または放射線治療の開始時」「病状が進行したとき」「希死念慮を表明したとき」にスクリーニングを行うべきとされています。
 スクリーニングの項目はいくつかあるのですが、できれば最初に簡単なスクリーニングを行い、その後は定期的、あるいは前述したようなイベント時に実施すべきだと思います。よく“痛みは5つめのバイタルサイン”といわれますが、精神的苦痛 (emotional distress) は6つめのバイタルサインとして扱うべきと国際的にも考えられるようになってきています。

森田 抑うつのスクリーニングはなかなか難しいのですが、眠れるか否かは簡便な指標になりませんか。自殺対策の一環として、「2週間眠れなかったらうつかもしれない」というキャンペーンがありましたよね。

明智 不眠は精神的な要因が大きいので、チェック項目の1つになると思います。ただ、異なる病態も含んでしまうため、抑うつをターゲットとしたスクリーニングとしては適当ではないかもしれません。がん患者さんのQOLを高めるための、例えば疼痛なども拾い上げることを目的としたスクリーニングとしては、非常によい方法だと思います。

木澤 一般の医療従事者がせん妄を早期発見できるようなプログラムをつくれないか考えているのですが、何かいいアイデアはないでしょうか。

明智 難しいですね。この問題は、「なぜ意識障害の早期発見が難しいのか」を理解していただくと、わかりやすいと思います。意識が清明といわれる状態を簡単に言いますと、「自分または周囲で起きていることがきちんと理解できている状態」を指します。それに対し、せん妄は意識が軽く混濁し、「自分や周囲で起きていることがきちんと理解できていない状態」なわけです。緩和ケアの現場で出るような軽い意識障害に対しては、我々精神科医はいろいろな情報を集めて、自分や周りのことがあまりよくわかっていないことを同定し、その他の原因や縦断的な経過などを併せて検討し、総合的にせん妄と診断します。簡単なようで、これはなかなか熟練した技術を要しますので、残念ながら簡単にスクリーニングできる方法はあまりないのが現状かと思います。

精神症状に対する薬物療法

佐藤 吉野先生は、実臨床ではどのような対応をしておられますか。

吉野 抑うつに対してはアルプラゾラムを処方することが多いですね。予測性嘔吐にも効果がありますし。ただ、アルプラゾラムは1錠では眠気が強く出る場合があるので、割線が入っているものは半錠で使うことが多いです。鎮痛補助薬でもあるので、痛みがとれる方もいらっしゃいますね。

佐藤 教科書では、予測性嘔吐対策としてはロラゼパムが載っていることが多いですが。

明智 海外ではロラゼパムを使用した臨床試験がありますので、よく載っているのだと思います。ただ、薬理はほとんど同じため、私もアルプラゾラムを使用することが多いですね。その理由の1つは、ベンゾジアゼピン系抗不安薬のなかでアルプラゾラムだけが軽いうつ病にも有効であることが、メタアナリシスで示されていることです2)。ただし、欧米の臨床試験での投与量は日本で使用されている量に比べて高用量なので、通常量で抗うつ効果が得られるかは実際にはわかりません。ただ、少なくとも抗うつ作用が期待できる唯一の抗不安薬といえると思います。

 
   
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